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心の旅

幼い頃、戦火を避け疎開した時の記憶は、それぞれの方の心の奥に深く残っています。
鳥本さんご夫妻の疎開地を訪ねる旅は、会員間のメーリングリストでも波紋となりました。

心の旅
実は家内の念願の地を訪れ、心を洗われて帰って来ました。
旅をしたのはこの9月24日〜26日の事です。(2003年)
家内の願は戦中に学童集団疎開した富山県下のお寺を訪ねてみたいと言うことでした。
ついでに富山、県下の古刹を巡り岐阜県の五箇山、白川郷、高山市、更に長野市松代の真田資料館など、更に古い街並を同時に訪ねてというものでした。
家内が学童疎開した場所は富山県城端(*1)にある浄土真宗大谷派別院善徳寺(*2)という所謂織田信長に刃向った門徒の守った古い由緒ある寺です。
家内は戦中、渋谷に住んでいて、疎開の時は小学校6年生でした。
地方に身寄りのない学童が100人以上1〜6年生まで昭和20年4月〜終戦後まで約半年間世話になっておりました。
以後、家内の話をもとに綴ってみました。
なにしろ、五十年以上、約半世紀前の想い出です。この古寺は戦後その内部は半世紀前と殆ど変っておらず、特に驚かされたのは学童達が毎日寝起きした部屋が周りの襖、畳、調度品に至るまでが当時と殆ど変らない状態で保存されている事でした。
これには、半世紀前にタイムスリップした家内は思はず当時が甦り涙しておりました。
勿論寺には当時を語れる人とておりませんでしたが、家内同様に年に1、2組の当時の疎開児童が当時を偲んで訪れる人々があるそうです。庭の一部に疎開児童が離れるに当たり、記念樹が植えられ大きく育っておりました。記念碑には「常盤の松」と刻まれておりました。小学校が「渋谷区立常磐松国民学校」と称したからです。
参詣に来ておられた年配の方々に当時の様子を尋ねたところ、鮮明に当時を語ってくれました。

 ★山門を入る家内★


 

お寺から地元の小学校に通う都会育ちの学童達を現地の方々は暖かく見守り至る所で気を使ってくれた様子を伺いました。
この旅は家内にとって心に残した思いを果す事が出来ました。
心優しい現地の当時の人々、そして今でもその優しさが変らない人々、心温まる日本の人たちがまだまだ沢山おられることに感激もひとしおでした。
当時の写真などが残されていると聞きましたが、いつの日か整理されて現れることをお寺と約して去りました。
当時、食事も思う様に取れなかった毎日でしたが、お寺さんそして現地の方々が精一杯支えて下さった事に感謝の気持ちで一杯になりました。
富山県下の古刹2つ、五箇山、白川郷、高山市と古い街並を探訪して来ましたが、生憎天候には恵まれませんでしたが、雨の中の自然との街並みも風情のあるものでした。

★記念樹と記念碑★


*1)城端町:
富山県、岐阜県の県境に近く、更に県境に近く約25kで五箇山に達します。
五箇山の有名な祭り「麦屋祭」もこの地で催されます。
また越中独特の曳山祭など無形文化財として知られています。

(*2)浄土真宗大谷派別院善徳寺(富山県砺波郡城端町):
この寺は福光から別院としてここに移り500年、奇跡的に一度も火災遭った事が無く、古文書、記録類が1万点にも残され、境内には29棟の建物、庭園、宿坊などがある北陸の一向衆門徒の拠点の一つです。

★善徳寺境内★

 

鳥本 恵司
 

   

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